日本人はお釈迦様の悟りの内容を知らない

日本人はお釈迦様の悟りの内容を知らない

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  • 投稿カテゴリー:仏法

あなたは「知りたいのか」「学びたいのか」

前回に引き続き、今回も「日本に原始仏教が伝来していない7つの根拠」というシリーズブログの第三段になります。
今回は日本人のほとんどの人が答えられない、お釈迦様の悟りの内容を解説していきたいと思います。
まずあなたはお釈迦様の悟りを知りたいのか?学びたいのか?ここが重要です。知るだけでは意味がありません。得た知識をいかして実践することが重要になってきます。学ぶ権利がある人には縁がある教えです。権利があると同時にそれを学ぶ義務もありますので、是非今後もお釈迦様のダルマ(仏法)を学び続けてみてください。

学校では教えてくれないお釈迦様の悟りの内容

身の回りの人に、お釈迦様の悟りの内容を答えられる人、説明できる人はいるでしょうか?おそらく99%の日本人はお釈迦様の悟られた内容を答えることはできないでしょう。これが正にお釈迦様の教えである原始仏教が日本に伝わっていない証拠とも言えます。原始仏教が残る国(スリランカ・タイ・ラオス・ミャンマー等)では子供でも答えられるような簡単な質問です。
悟りの内容は3つあり、知らなかった人はこの内容をちゃんと正しく理解するだけで、人生観や考え方が変化するくらい、大切な教えです。下記に文章で書きますが、この悟りを文字として表面上知ったとしても何の意味もありません。学ぶことが重要です。

①この世の中は全て徳分とカルマの法則でてきている
②全ての生命体は輪廻転生の輪の中にいる
③輪廻転生の輪の中から抜け出し解脱するためには

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①徳分のカルマの法則について

まずは徳分とカルマの法則を学びましょう。これがとても重要です。今回はこの徳分とカルマの法則だけを学んでもらえれば、それだけでも十分です。
徳分とは良いことをすると付加されるプラスポイント、カルマとは悪行を行うと付加されるマイナスポイントだと思ってください。徳分は神の世界に記録され、カルマは閻魔帳に記録されると言います。人は死後、徳分とカルマだけはあの世に持っていくことができます。死後100日で閻魔大王のもとで、徳分の量とカルマの量に応じて行き先が決定されます。カルマが多く徳分のないものは地獄またはアスラガイへ、徳分が多くカルマが少ない人はテワダーの世界(天国)または神の世界へ、行き先がそれぞれ決定されます。
徳分とカルマの法則において、何が徳分で何がカルマになるのかを正しく理解する必要があります。人間基準では正しくても神基準では悪行ということは多々あります。つまり何でも神目線で考えて行動する必要があります。
例えば、人間目線から見れば無償で医療提供することは良いことに見えるでしょう。しかし神目線で見れば、患者のカルマ解消の邪魔をする悪行とみなされ、徳分どころかカルマになってしまいます。ここで重要なのは、無償ではなく少額でも良いので患者からお金を取ることです。患者の体のカルマ(病気)をお金のカルマに変換して解消(お金を支払う)するため、医者は徳分を積み、患者はカルマ解消ができるわけです。

②神ですら輪廻転生の輪の中にいる

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輪廻転生(サンサロワット)とは人間だけの話ではなく、虫、小動物、大動物、スピリッツ、神などの生命体全体のことです。輪廻転生の外が解脱であり、その世界はニッパンと呼ばれています。日本では涅槃(ねはん)、アメリカではニルヴァーナと呼ばれていますが、全て同じ意味です。ニッパンは完全解脱ですので生まれ変わりはありません。そしてニッパンに存在されるのが、お釈迦様(プラプッタジャウ)とお釈迦様のダルマによって解脱されたアラハン(阿羅漢)の皆様です。
ですので、お釈迦様の生まれ変わりというのはありえません。
神ですら解脱できておらず輪廻転生の輪の中に存在し、徳分を使い果たせば人間や動物に生まれ変わります。ちなみに神は徳分を積むことはほとんどできません。徳分を積んだり、積極的にカルマ解消を行うことができるのは人間だけの特権とも言えます。人間に生まれることはそれだけ特別なことなのです。ですので人間が積んだ徳分を神に捧げると、神は喜びます。人間界で例えると、お金をもらうことに等しいです。死後の世界、スピリッツの世界、神の世界など非物理的世界での通貨は徳分なのです。徳分と引き換えに色々な恩恵を受けることができるのです。

③解脱するためにはダルマ(仏法)を学び続けること

ダルマを一言で言えば、ニッパンへの道です。山の頂上をニッパンとするなら、お釈迦様は登山道の無い山に、登山道を作りながら登った勇敢な登山家です。このようにダルマのない世界にダルマを生み出してニッパンへ行く存在をプラプッタジャウと呼びます。その登山道(ダルマ)を使ってニッパンへ登った存在をアラハンと呼びます。このダルマは神ですら学びたい最高の叡智といえます。
神の教えはヴェーダーの叡智と言われますので、人間が勉強するにはちょうどよい教えかもしれません、しかしダルマは更にそれを上回る叡智です。神はダルマを学び、解脱してニッパンへ行くことが目標です。ダルマ以上の教えはありません。
そして今シリーズ最初のブログ「日本では仏教が宗教である」でも書いた通り、お釈迦様のダルマは全部で84,000あります。人間の一生では学ぶことのできない多さですので、何度も人間に生まれ変わって、続きを学んでいけば良いわけです。

総括&次回

今回の内容では「徳分とカルマの法則」を学びましょう。これを本当の意味で理解できれば、それだけで人生は生きやすくなるはずです。それにはダルマを学び続けることが重要です。ダルマを軸にした考え方ができれば、物事の判断はより楽に迅速にできるようになるはずです。
次回も「日本に原始仏教が伝来していない7つの根拠」シリーズで、「葬儀は故人のためではなく遺族のために執り行われている」というテーマについて解説していきたいと思います。