お盆とお彼岸の違い

お盆とお彼岸の違い

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  • 投稿カテゴリー:仏法

いつもお世話になっております。風水鑑定士の田村です。
先月お盆が終わったと思ったら、9月に入りもうすぐ秋の彼岸が来ますので、本日は彼岸とお盆の違いについてお話ししたいと思います。
お盆のブログの際にも少し触れましたが、今日は詳しく解説していきたいと思います。

供養と廻向の違い

まず覚えて欲しい言葉があります。「廻向」(回向)(えこう)です。
廻向とは自分が積んだ徳分を、神仏に捧げて、それによる徳分をもって死者の追善供養や、他人の心願成就を祈願することです。
徳分を自分のものにするのではなく、神仏や他者に捧げる。徳分を廻らせ、他者に向ける、なので廻向なのです。
一般の人々はお経やマントラを読むことはできませんので、お坊さんなどにお経を読んでもらい、廻向をしてもらいます。廻向料と記載した封筒にお金を入れて渡すのはこのためです。

そして日本ではこの廻向と供養が一緒であると考えられておりますが、これらは全く別物です。
廻向とは、主に霊界にいる魂に向けて行う行為です。(それ以外に行う廻向もたくさんある)
供養とは、人間界にいる魂(おばけ)に向けて行う行為です。
おばけの定義については、以前のブログである「お盆特集ブログ「おばけ」について」をお読み下さい。
おばけとは寿命を迎えていない魂なので、まだ霊界にはいけません。そんなさまよえる魂に供物を捧げて、お経やマントラを捧げて、徳分をもって霊界に行ってもらうことが、供養なのです。
そして霊界に行けるチャンスである日がお彼岸なのです。彼岸とは真東から太陽が昇り、真西に沈む日です。その日この世からあの世に行く船が出港します。彼岸には岸という言葉が入っていますが、岸とは向こう岸つまり霊界になります。霊界へ送り込むために供養する日がお彼岸であると言えます。

廻向が供養と一緒にされる理由

ではなぜ日本では廻向と供養がごちゃまぜにされてしまうのか。これはおそらく廻向で供養ができるからだと考えます。つまり廻向は万能なのです。
供養は霊界の死者には届きませんが、廻向による徳分は霊界、人間界、神々の世界どこにでも届きます。
供養は廻向にはなりませんが、廻向で供養をすることはできるのです。

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お盆は霊界の死者へ、お彼岸は人間界の死者へ

前述の通り、廻向と供養の違いはご理解いただけたと思いますが、お盆とお彼岸の違いはこうなります。

お盆=霊界の死者のために廻向
お彼岸=人間界のおばけのために供養

廻向文

廻向を行う際に唱えるお経を「廻向文」と言い、宗派によって色々ありますが、代表的なのが真言宗の廻向文です。

「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」

筆者は原始仏教での徳分を捧げる方法である「クルワットナム」という儀式をもって徳分を他者にお捧げしております。
「ナム」とは水のことです。クルワットナムは専用の法具(水を入れる器)にマントラを唱えながら水を入れます。その水を大地に根を張った木々の根本に注ぐことにより、メープラトラニー(大地を司る女神)が徳分を捧げた人のところまで届けてくれます。「プラ」は敬称で「様」になります。「メー」は女性という意味です。

総括

徳分を人のために使うことは非常に重要なことです。人のためのみならず神仏に捧げ、様々な魂に捧げること。これは煩悩の多い人にはできません。欲の強い人は自分の徳分に執着し他者に捧げることができません。一方煩悩を滅することができる人は「自分の」「私の」という考え方をしません。常に利他心を持ち、他者のために徳分を捧げます。

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そして神々のルールの中で、与えられたら必ず返すというルールがありますので、与えた徳分は必ず自分に戻ってきます。
神々に捧げれば100倍返し、他人に捧げれば(寄付)3.75倍返し(スタンフォード大学の研究結果)与えれば与えるほど、失うのではなく逆にどんどん豊かになっていくのです。

お盆、お彼岸に関係なく、徳分を死者にささげる、廻向や供養は大切です。